インタビュー

第4回 北大フロンティアプログラム第2期生廖 可(リョウ・カ)さんへのインタビュー

Interview Vol.4

国際的なジャーナリストになる、その目標に向かって経験を積み重ねます。

廖 可(リョウ・カ)さん
北海道大学大学院国際広報メディア・観光学院 国際広報メディア専攻 修士2年

PROFILE

中国出身。中国の東北財経大学を卒業後、約1年半新聞社で記者として働く。2017年4月から1年間、東京の日本語学校で勉強し、2018年4月に北海道大学大学院国際広報メディア・観光学院へ進学。国際広報メディア専攻でジャーナリズムコースに所属

趣味・特技
バスケットボール、クラリネット
好きな食べもの
苦手な食べ物がほとんどないので、何でも
好きな有名人
サッカー選手の渡辺淳一と、作家の渡辺淳一
渡辺淳一の著書『流氷への旅』を読んで北海道に来たいと思いました
将来の夢
国際的なジャーナリストになって人々のために報道したい
就職活動
修士1年の2月から開始、修士2年の7月にドキュメンタリー制作会社に内定

「日本での留学について」

ー日本に留学したきっかけは?
中国の大学を卒業後、新聞社で調査記者として働いていましたが、近年中国では記者の環境が厳しくなり、仕事ができなくなってきたので、海外で仕事がしたいと考えました。
当初はアメリカに行きたいと思ったのですが、自分の貯金では足りず、行き先を日本に変更して、まずは東京の語学学校で1年間日本語を勉強しました。その後、北大大学院に進学し、ジャーナリズムを研究しています。
ー北海道大学に来たのはどうしてですか?
北大を選んだ理由はただ一つ、風景がきれいだから、です。ぼくの故郷は中国南部で、冬も暖かく雪が降りませんが、ずっと雪や流氷のある風景が好きでした。以前、渡辺淳一の『流氷への旅』という小説を読んでから、北海道に憧れていました。大学院受験で初めて2月の北海道を訪れ、試験のあと紋別まで流氷を見に行き、そのときに「ここで勉強したい」という思いがさらに強くなりました。
ー今はどんな研究をしていますか?
現代の中国のジャーナリズムを研究しています。具体的なテーマは、中国のワクチン問題。中国では悪質な不正ワクチンが医療市場に大量に流され、何度も問題が起きました。そもそもワクチン問題を明らかにしたのは中国の調査記者で、ぼくも同じ調査記者をしていたので興味をもち、研究を続けています。
ー留学生活で、特に思い出に残っていることは?
中学のころクラリネットを吹いていて、こちらに来て久しぶりに再開し、北大ジャズ研究会に入りました。そこで会った4人でバンドを組み、北大祭でライブに出場したことが一番の思い出です。朝イチの舞台でお客さんは少なめでしたが、楽しく演奏できましたよ。

「北大フロンティアプログラムについて」

ー北大フロンティアプログラムに入ったきかっけは?
大学院の合格通知の封筒にチラシが入っていて、このプログラムの存在を知りました。せっかく日本に留学するのなら、卒業後は日本のメディアで仕事をしたい、と思っていたので、すぐ申し込みました。
ー北大フロンティアプログラムで役立ったことは?
敬語が苦手だったので、敬語の使い方の講義がとても役立ちました。また、模擬面接をして、その様子を携帯のムービーで録画し、失敗をチェックできたのも良かったです。それから講義とは別に、スタッフの中井さん(北大フロンティアプログラムの特定専門職員)に作文の添削をお願いし、ずいぶん助けていただきました。
ー大変だったことはありますか?
講義がたくさんあって忙しかったことです。修士の学生は1年目でほぼすべての過程を終えるため、ただでさえ講義が多く、そこにフロンティアプログラムを加えると、朝から晩までびっしり!という日もありました。そのほか、レポート提出や日本語の勉強会などもあります。でも、いま振り返るとすべてが意義あることで、がんばって良かったと思います。

就職活動について

ー就職活動で苦労した点は?
最初は日本の全体的な業界を知りたくて、いろいろな業界にエントリーシートを出しました。しかし、ほとんどは返事がなく、あった企業も1次か2次面接で落ちてしまい、日本での就職は難しいと感じました。
それから志望をメディア業界に絞り、まず新聞社にエントリーシートを出しました。新聞社のエントリーシートは手書きで郵送しなければならず、書き上げるのが大変でした。それが通過すると筆記試験があり、なかでも作文に苦戦しました。最初は練習をしていなかったので次々と落ち、これはダメだ、と中井さんに添削をお願いし、何度も書き直し少しずつ書けるようになりました(中井さん、本当にありがとうございました)。
ー内定獲得のポイントは?
大切なのは、自分の意思をあきらめず貫くこと。修士2年目になって、周りの友だち、特に理系の人はほとんど内定が出ていましたが、ぼくはなかなか決まりませんでした。落ち込んでもしょうがないので、国際広報メディアの研究室の教授にも相談し、ほかのメディアにも目を向けることにしました。そこでたどり着いたのが、最終的に内定をもらった東京のドキュメンタリー制作会社です。
ここでは社長面接が3時間もあり、「仕事はきついが大丈夫か?」と何度も聞かれましたが、自分のやる気と意思を伝え、採用が決まりました。また、このとき社長と深く話ができ、共感できたことは、すごく良かったです。
ー日本の就職活動は、中国と比べて違いましたか?
かなり違うと思いました。主にメディア業界しかわかりませんが、中国や他の国は、その人の「スキル」を重視するのに比べ、日本は「人柄」が重視されます。たとえば新聞社なら実際に取材テーマを与え、良い記事を書くことができれば採用、という場合が多いですが、日本では面接が大きなポイントになります。性格が重視されるので、適正検査の練習もしておくと良いと思います。

最後に

ー今後の目標を教えてください。
プロフェッショナルなジャーナリストになることが目標です。これまで新聞記者の経験しかないので、これからはドキュメンタリー制作の経験を積み、幅広い視野を身につけたいです。いつか世界各地の紛争地で真実を伝える報道ができればと思います。
ー北大フロンティアプログラムの後輩へ、アドバイスをお願いします。
もし日本で就職したいなら、絶対にこのプログラムに入ることをお薦めします。それくらい役立つ内容が多いです。ただし、受け身ではなく自分から積極的に関わることが大事です。どんどん質問したり相談したり、プログラムを有効に活用してください。
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